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2025.3.12 軽貨物コラム

「工業高卒、母校に帰る」北商物流 瀬戸口 敦 講演会 in浦和工業高校

 

北商物流の代表取締役・瀬戸口敦さんが、母校である埼玉県立浦和工業高等学校で講演を行いました。その講演会のダイジェストをお届けするとともに、開催の背景や講演後に語られた母校への想いについても詳しくお伝えします。

執筆・編集:酒井(鹿倉) 安澄

 

瀬戸口敦 講演1 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版
「母校の役に立ちたい」その想いが講演会開催につながった

 

2024年は、北商物流の代表取締役としても軽貨物ロジスティクス協会理事長としても、瀬戸口さんのメディア露出が一気に増えた1年でした。

瀬戸口 敦 3月にはテレビ東京の『ガイアの夜明け』に、8月にはワールドビジネスサテライトに出演しました。日刊工業新聞や物流Weeklyなどの新聞各社に取り上げていただく機会も格段に増えました。

協会理事長としてだけでなく、北商物流代表取締役としての注目度も上がり、身の引き締まる思いです。

2025年1月にはNHKニュースにも出演し、さらにメディアからの注目度が上がっています。
そんな瀬戸口さんは、1993年に埼玉県立浦和工業高等学校に入学しました。
青春を大いに謳歌したものの、高校生の瀬戸口さんは決して模範的な生徒とは言えず、むしろ“落ちこぼれ”で、卒業も危ぶまれるほどだったそうです。

 

瀬戸口 敦 たまたま見たネットニュースで、母校である浦和工業高等学校が大宮工業高等学校と統合し、令和8年度に新校として生まれ変わると知りました。

 

母校が進化を遂げる未来は嬉しくありながらも、青春時代を過ごした校舎からの移転が決まった事実には、寂しさを覚えました。

紆余曲折あったものの社会人として経営者としては少しずつ安定してきた。そんなタイミングで耳にした閉校のニュース。「母校に帰るチャンスは、もう今しかないのではないか」、その想いが瀬戸口さんを突き動かしました。

 

瀬戸口 敦 勉強嫌いだった私が偉そうには語れないけれど、母校でお世話になった先生方や仲間たち、そして、現在学んでいるたくさんの後輩たちに向けて、私の歩んできた道を伝える機会をいただき、少しでもお役に立てないだろうか。想いのままに学校に連絡をしました。

 

2024年12月23日、講演会当日。普段より硬く見える表情に、講演会への想いの強さがうかがえます。

 

講演会前 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

 

校長の堀口 真史先生に迎えられ、ごあいさつのあと校舎に入りました。

校長先生にご挨拶 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

 

会場である講堂に続々と集まる生徒の皆さんと先生方。地元テレビ埼玉の記者さんとカメラマンも揃い、会場の緊張感は時間と共に増していきます。

瀬戸口敦 講演2 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

 

質疑応答を入れて1時間、瀬戸口さんは、高校生に想いを伝えました。

※当日の講演内容に加筆修正しました

 

瀬戸口敦講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

 

瀬戸口敦 講演3 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

浦和工業高校 機械科卒業から15年、北商物流を創業

 

ただいま校長先生にご紹介いただきました瀬戸口敦です。本日はこのような機会をいただきありがとうございます。

私は26年前の1996年3月、埼玉県立浦和工業高等学校の機械科を卒業しました。そして2011年に北商物流株式会社を創業し、現在14期目です。

北商物流は軽貨物配送の会社です。物流と一口に言っても様々な仕事がありますが、我々の会社では小さな軽貨物車両で荷物を運んでいます。

軽貨物車両 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

 

例えば皆さん、Amazonを知っていますよね。私が学校に通っているときにはまだAmazonはありませんでした。今は注文をしたら翌日にすぐ荷物が届きます。とても便利な時代になりましたよね。
我々はそのような荷物を皆さんのお宅や企業に運んでいます。

また、先ほど校長先生にご紹介いただいた通り、一般社団法人軽貨物ロジスティクス協会で理事長をさせていただいています。“ラストワンマイル”の担い手として活躍する86の会社と、ドライバーさん約3,500名が加盟しています。

 

軽貨物ロジスティクス協会の仲間たちと 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

 

参考記事

一代で築いた「お客様にもドライバーにも選ばれる運送会社」軽貨物業界の意識改革を推進する次世代リーダー 北商物流株式会社 代表取締役 瀬戸口 敦インタビュー

最初に北商物流の動画を一本ご覧ください。

 

 

大宮『南銀』での仕事が起業につながった

 

でははじめに「なぜ運送業界に入ったか?」お話します。
私が自動車の運転免許を取ったのは18歳で、20歳から3年半ほど埼玉県大宮市(現さいたま市)の南銀という繁華街で軽貨物配送の仕事をしていました。それがのちの起業につながりました。

 

震災をきっかけに「人の役に立ちたい」気持ちが強まった

瀬戸口敦 講演4 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

 

起業のきっかけは2011年3月11日の東日本大震災です。私は北商物流創業前に勤めていた会社で働いていました。

 

草加市内イメージ 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

 

埼玉県草加市で軽貨物配送の仕事中、東日本大震災が発生しました。震源地から遠く離れた地であるにも関わらず目の前に広がる大きな被害。生まれて初めて「ここで死ぬかもしれない」と思いました。

震災の混乱の中でも、物流を止めるわけにはいきません。その時は必死で目の前の仕事に向き合うことしかできませんでしたが、働くうちに「人々の役に立ちたい」という想いが強まりました。
そして、社会の役に立つには何をしたらいいか、考えるようになりました。お金を寄付する以外の形で何かできないだろうか。
自分自身で考え、「起業して自分の可能性を広げよう」と北商物流の創業を決めました。

 

その後、2016年熊本地震の際は、支援物資を持って現地に足を運びました。現地の方とお話しし、直接支援物資を渡す。会社を興したことで、災害時に支援ができるようになりました。
もちろん災害は無い方がいいのですが、大変な状況にいる人たちの力になれる人間になりたいと、東日本大震災の時に思っていたので、熊本地震の際は少しお役に立てたのではないかと思っています。

 

入社した会社をたった1ヶ月で退職 恥ずかしくて母校に帰れなかった

 

本日、この場を用意してくださった先生方や生徒の皆さまに感謝しています。高校を卒業して26年、やっと母校に戻ってくることができました。

当時は真面目でも優秀な生徒でもなく、ギリギリ卒業できた赤点の落第生。機械科は3年間クラス替えがなく、女子もいなかったので男子校のような雰囲気でとにかく楽しかった記憶はありますが「卒業できただけで満足」、そんな生徒でした。

 

高校の友人と 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

 

ですから、経営者になりたいとか、社会の役に立ちたいとか、そのようなことは、まったく考えていませんでした。
せっかく就職した会社もたった1か月、ゴールデンウィーク前には辞めてしまったものですから、頑張っている姿を先生方や後輩に見せられるはずもなく、母校に帰るタイミングを逸していました。

今回、浦和工業高等学校が統合により閉校し、新しい学校に生まれ変わるとの話を耳にし、「今しかない」と思い、母校に連絡を取り、本日の講演会開催につながりました。

 

後輩に伝えたい!高校での学びや経験が社会で勝ち抜く原動力に

 

瀬戸口敦 講演5 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

 

高校を卒業して社会に出た私は、バイトとは全く異なる厳しい現実に直面しました。

今年もすでに12月ですね。3年生は来年4月からの就職、または進学先が決まっている人が多いと思います。
当時の私は就職が決まったものの、“働く”ってどんなことかイメージできていませんでした。4月になり実際に働いてみると、思っていたのと全く違うんですね。高卒で入社した会社を一カ月で辞めてしまいました。

 

そんな私ですが、現在は社会人として、立派な大学を出た人たちと肩を並べて働いています。大卒で経営を学んだ社長さんにもたくさんお会いします。
工業高校卒で、経営学を学んだこともない。経営という舞台に立った時、工業高校出身であることを後悔し、コンプレックスを抱いたこともありました。

それでも、いま、皆さんの前でこうしてお話しできるようになり、「やっぱりこの高校で良かった。浦和工業だったからこそ、私は経営者になれたのではないか」と思っています。

この高校での学びや経験が、社会で勝ち抜く原動力となったのは間違いありません。

学歴コンプレックスがあったからこそ「負けたくない」気持ちが強くありました。社会に出たらすべてが競争です。勝ち負けがはっきり分かれます。スポーツなら試合後は握手しておしまいですが、社会で“負ける”と、もう一度這い上がるのはなかなか大変なんです。
OBとして話すのにこんなことを言うのは、とも思いますが「社会は本当に厳しいところだ」というのは、一つ、覚えておいてください。

それでも、「社会に出て働く」というのは厳しさを感じる以上に、楽しいことでもあります。私は社会に出てから、厳しい環境の中で這い上がり、仲間とともに目標を達成する喜びを知りました。

 

瀬戸口敦 講演1 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

「物流なしにこの世は成り立たない」重要な仕事

 

私は今、44歳です。運送の世界では2024年問題が取りざたされていますが、法規制とドライバーの高齢化により、運び手はどんどん少なくなっています。

現在、再配達は無料で、ネットや電話ですぐ依頼できますよね。
利用者にとっては便利ですが、配送の現場からすると、本当に厳しいことなんです。「一件、一日〇円」で配送業務を請けているのに、再配達に手間がかかったとしても、もらえる金額は変わりません。
もしかしたらこのまま運び手が減り続けたら、無料では再配達できなくなるかもしれませんし、今までのように“注文してすぐ届く”時代ではなくなるかもしれないんです。

物流なしにはこの世は成り立たない。配送業務は、社会生活において非常に重要で欠かせない仕事です。この中に1人でも2人でも物流の世界に入ろうと思ってくれる人がいるなら、ぜひ力を貸してほしいなと思っています。

 

夢は変わってもいい「誰かのためになっているのか」考えて努力を

瀬戸口敦 講演6 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

 

みなさんには夢がありますか?手を上げてみてください。
ーーー半分ちょっとくらいの方が手を上げてくれましたね。

私は、大人になってから何度も夢が変わりました。20歳過ぎぐらいまではバンドを組んで本気でミュージシャンを目指していました。

 

バンド活動2 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

バンド活動 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

 

でも、音楽で飯を食うというのは非常に難しく…。途中で自分の限界を知り、あっけなく最初の夢が終わりました。

私は学生時代サッカー部でした。スポーツに向き合った経験があるからこそ感じるのですが、小さい頃からサッカーや野球をやって、大人になって選手として生計を立てられる。幼い頃の夢を「自分がやりたい職業」にして働いている人はすごいと思います。

多くの人は、第一希望の仕事に就きたくてもできないから、また別の仕事を選びます。
もちろん「夢」は仕事だけでなくて、人によっては「結婚して平和な家庭を築く」のが夢ということもあるでしょう。私もさまざまな夢を持ち続け、挑戦を繰り返してきました。

 

瀬戸口敦 講演7 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

 

私は「夢は何度変わってもいい」と思っています。情報がすぐに手に入る時代なので、どんどんチャレンジしていってほしいなと思います。
私は高校を卒業してから今まで、失敗の方が多いくらいです。ずっと成功し続けて、いまここにいるわけではないんです。

それでもここまで来られたのは、失敗しても頑張って、常に「次、もう一回!」という気持ちがあったからだと思います。

 

フィリピン・ミンダナオ島の橋建設も叶えた夢の一つ

 

ここでもうひとつ動画をご覧ください。

フィリピン 北サンボアンガ州 道路整備支援事業

 

瀬戸口敦 講演8 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

 

フィリピンにはミンダナオ島というところがあります。フィリピンには貧困の地域がとても多いんです。今回支援をした北サンボアンガも貧困地域で、治安も悪くテロリストがいます。日本外務省のホームページを見ると、渡航禁止の地域となっているほどです。
橋完成の式典参加のために、どうにか渡航できないかと手を尽くしましたが叶わず、ビデオメッセージを寄せました。

この地域は台風が来ると、生活道路を横切る川の流れは速くなり、一気に増水します。子どもだけでなく大人も流されるほどで、残念ながら亡くなる方もいるそうです。
そんな危険な道路ですが、道の上を流れる川を渡らなければ、街にも学校にも行けません。

 

道を横切る川 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

 

配送の仕事でいつも橋や道路を使っている私は、この話を聞いて「橋をつくりましょう」と言いました。金額でいうと1,000万円くらいでしょうか。コンクリート構造物の『ボックスカルバート』を使った橋です。我々のような中小企業にとっては大きな金額ですが、橋の建設費用としては安い方だと聞いています。

 

橋建設プロジェクト 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

この橋を架けた地域では、ほとんどの人が農業で生計を立てています。川が増水すると、農産物を街に売りに行くことができません。それが貧困の原因のひとつなんですね。
お父さんお母さんが農業をしてせっかく野菜や果物が収穫できたとしても、橋がないと町に売りに行けない。子どもたちが学校に行きたくても「飯を食うお金がないから学校には行かずに農作業を手伝ってくれ」と言われ、行かせてもらえないのです。就学率は7割以下、学校に行きたいけど行けない子がたくさんいます。

また、さきほど川の映像が流れましたが、晴れていても水の流れている道を渡らなければ、学校にも登校できません。そのうえ、学校まで20数キロ、往復で40キロ以上、フルマラソンのような距離を毎日歩きます。それでも「学校に行きたい」と子どもたちは言うんです。

ミンダナオ島の子どもたちの話を聞き「毎日学校に行けることは当たり前ではなかったのだ」と気づかされました。

 

これまでお話しした通り、私は高校時代は落第生で、社会人になってからも順調であったとは言えません。
でも、「誰かのために、人のために役に立ちたい」と思うならば、皆さんもチャレンジしてみてほしいなと思っています。

大企業が会社の利益の中から社会貢献することはできるんですよ。でも、我々のような中小企業が単独で行うのはとても難しく、このプロジェクトも1年かかりました。

それでも、現地の子どもたちや地域の人々が喜んでいる姿をみて、私はチャレンジして良かったと思っています。

この橋を作ったときに「橋の名前はどうしますか?」と聞かれたのですが、「現地の皆さんで考えて、愛される名前を付けてください」と伝えました。
この橋が、何十年先も地域の人たちの生活を支えていってほしいですね。

 

高校でのモノづくりが橋建設につながった

 

浦和工業高校でモノづくりを学んだことが、橋建設にも生きているのではないかと思っています。
作るのが小さな部品だったとしても、その小さなパーツが集まって、皆の努力の積み重ねで橋が作られるわけです。
今、皆さんが学校で学んでいることは、どこかに続いているはずなのでそれを忘れないでほしいなと思います。

 

参考記事
道路インフラの整備で子どもたちの未来を拓く – フィリピン・ミンダナオ島での橋梁建設 北商物流 –

 

「誰かのためになっているか」一人でも多くの人を幸せに

 

先ほど皆さんに「夢はありますか?」と聞きましたが、高校生の私は手を挙げられない生徒でした。正直、学校もあまり行きたくないと思っていました。自分のことで精いっぱいだったからかもしれません。

今、大切だと思うのは「その夢が誰かのためになっているか」と考えることです。誰かのために、という気持ちが大きな成果につながります。

そして、夢を実現するには努力が必要です。宝くじのように突然叶うものではありません。少しずつ積み上げた努力が形になり、やがて夢が現実のものとなります。

 

「仲間を大切に」一人では“経営者”にはなれなかった

 

瀬戸口敦 講演9 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

誰にでも、経営者になれる可能性があります。実際に機械科で学んだ同級生3人が、経営者になっています。しかも、みんな私のように“優秀ではない生徒”でした。それでも、仲間と力を合わせることで会社を運営できています。

もちろん経営者になることがベストとは言いません。リスクが高く責任も重くのしかかります。
でも、経営者になれば、自分のやりたいことができるし、夢をかなえられます。自分だけで何かを作るのは無理でも、みんなでなら作れるかもしれません。
私の会社、北商物流では、150人くらいのドライバーさんが毎日一生懸命、荷物を運んでくれています。

 

北商物流の仲間たちと 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

 

「一人では決して成し得なかっただろう」と、多くの仲間と共に仕事をしながらよく考えています。仲間を大切にすることの重要性を、心から実感しています。

まず自分の夢を見つける。そして仲間を見つけて、一緒にやる。そうすると、夢が叶う確率もスピードもあがります。

私はちょっと夢見がちなタイプなので努力した分だけ夢が叶うと思っています。でも、倍になって返ってくるとは思っていません。学びが成果につながるんです。

社会人になり、経営者になり、苦手だった数字の勉強を時間がない中でやったけれど、学生時代なら勉強する時間があったじゃないか、と今になって思います。
大人になってから忙しいなか勉強しなきゃいけないんだったら今、勉強したほうがいいじゃないですか。先生もいるし、テストで間違えたって誰にも迷惑が掛かりません。

例えば、社会に出て物流の仕事をしたとします。何か間違いがあったら、人身事故が起きるかもしれません。間違ってはいけない仕事なんです。

学校での勉強なら間違えても、誰も傷つけません。だから、テストでも実習でも制作物でも、失敗を恐れず頑張ってもらいたいなと思います。

 

自分の可能性を信じてチャレンジしてほしい

 

若いということは、それだけで大きな価値があります。僕は17歳に戻れるなら大金を払ってでも戻りたいとさえ思います。皆さんには、その若さを存分に活かして、自分の可能性を信じてほしいと思います。

浦和工業高校で学んだ経験を大切にし、社会で活躍することを目指してください。どんな困難があっても、失敗を恐れずチャレンジを続ければ、必ず道は開けます。

SNSで苦手だった情報発信にチャレンジ

私は一年前からX(Twitter)での情報発信にチャレンジしています。

 

瀬戸口敦X 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

アカウント:瀬戸口@軽貨物の窓口

 

後輩の皆さんのなかに「社長になりたい!」という人がいれば、私で良ければアドバイスします。それだけでなくて、運送の仕事、そのほか進路や就職など、なんでも相談したいことがあれば、「浦和工業高校の生徒です」と添えて、DMを送ってください。必ずお返事します。

 

質疑応答

 

生徒さんからの質問があるか、心配する大人たちをよそに、数人の生徒さんがパッと手を上げてくれました。

生徒さん①経営者に必要な勉強や知識は?

経営者になるにあたって、必要な勉強や知識はありますか?

 

質疑応答1 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

 

瀬戸口 敦 経営者になるには数字に強くなることが重要です。会社には、赤字か黒字か、2つしかないんですよ。
会社を存続させていくには、数字に強くならなきゃいけない。ただこの学校は商業高校ではなく工業高校です。だから私は、苦手な数字について卒業後にたくさん勉強しました。

 

また「好きこそものの上手なれ」という言葉があるように、自分の得意なこと、好きなことであれば、勉強も進みます。
私が運送業を選んだのは、自分が楽しめる仕事だったからです。好きなことを選べば、夢を叶えられる可能性が高まります。

もう一つ、仲間を大切にしてください。仲間がいなかったら私はここにいないと思います。一緒に働く人、仲間を大切にする精神はとても大事です。

 

生徒さん②早朝の勤務はしんどいですか?

 

情報科の2年生です。ちょうど1年前のこの時期、とある会社の物流倉庫でお歳暮やおせちの仕分け作業のバイトをしていました。早朝5時スタートで、すごく早くてしんどかった思い出があります。やはり瀬戸口さんの会社でも早朝に働くことはありますか?そして、早朝の勤務はしんどいですか?

 

質疑応答2 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

 

瀬戸口 敦 実際に経験されたとのことですが、やはり我々にとっても早朝の勤務はしんどいですね。北商物流でも案件によっては早朝に作業しています。
では、「なんで早朝に作業するのか」、考えてみてもらいたいなと思います。

 

答えを言うと「早朝にやらないと午前中指定に間に合わないから」です。場合によっては前日からやらないとダメなんですね。
早朝から作業しなくても済む仕組みができたら、世の中ですごく役立つのではないかなと思います。
質問ありがとうございます。これからもがんばってください!

 

生徒さん③運送業を選んだ理由は?

 

経営者になろうと思ったときに、なぜ運送業を選んだんですか?

 

瀬戸口 敦 私が起業を考えたときに、経営者になれそうな職種は、運送・物流関係の仕事しかなかったんです。
夢が変わってもいいという話を先ほどしましたが、正直に話すと、もともと「運送会社をやろう」と夢見ていたわけじゃなかったんです。できれば、ミュージシャンになりたかった。

 

ミュージシャンにはなれない現実を突きつけられ、ほかの仕事も長続きしなかった。でも、運送の仕事だけは長く続いたんですね。運送業はキツいイメージがあるかもしれませんが、私は荷物を配っているとき、結構楽しかったんですよ。
それこそ「好きこそものの上手なれ」で経営者になれたのだと思います。

 

「母校に帰る」夢が叶えられたことに感謝

 

瀬戸口 敦 これで私がいただいた時間は終わりです。今日、クリスマスの前のこの日に、母校に来られたことを本当に感謝します。皆さんにお会いできたことに感謝します。

 

皆さんが立派な社会人になることを、心より応援しています。今日は本当にありがとうございました。

 

講演会を終えて~懐かしの校舎をめぐる~

 

講演会後、教頭の三野輪 雄大先生が校舎内を案内してくださいました。

 

教頭先生と校舎巡り 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

 

機械室加工実習室や図書室などを見学。教頭先生と談笑しながら、在学中の思い出話に花が咲きます。

 

教材の前で 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

 

外廊下から正門を見下ろしていると、講演会を聴いた生徒たちが帰宅する様子が見えます。

気づいた生徒が飛び切りの笑顔で瀬戸口さんに手を振ります。大きく手を振り笑顔で応える瀬戸口さんはとても嬉しそう。

 

渡り廊下から正門を見下ろす 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

渡り廊下より 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

渡り廊下から後輩に手を振る 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

 

その後、放課後を過ごす生徒さんに挨拶をして、教室にもお邪魔しました。講演会中の緊張した表情とは打って変わって、朗らかな笑顔を見せる瀬戸口さん。

 

母校の教壇で 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

教室にて 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

懐かしい教室で 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

 

高校時代は、いつも好んで窓際の席に座っていたそうです。「日差しがぽかぽか暖かくて」と懐かしそうに話してくださいました。

 

高校生の瀬戸口敦 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

高校時代の瀬戸口さん

進路指導室では、真剣なまなざしで求人票をめくります。

 

採用情報を真剣なまなざしで 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

 

最後に、瀬戸口さん在学時の卒業アルバムを見せていただきました。

 

アルバムを懐かしそうに眺める 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

 

思いきり青春を楽しんだ瀬戸口さん、アルバム表紙の“仲間”の文字が、「仲間を大切に」と話した講演会の内容とリンクします。

 

アルバムには仲間の文字が 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

 

帰り際、写真を撮ろうと正門に向かっていると、講演会を聴いた生徒さんが「さっそくX(Twitter)、フォローしました!」話しかけてきてくれました。
「“熱い”仕事がしたくて」と就職先を選んだ理由を話してくれた生徒さん。瀬戸口さんは「いつでも相談に乗るよ。二十歳になったらお酒ごちそうするから一緒に飲みに行こう!」と声を弾ませ、いつもの“兄貴分”を思わせる頼もしい表情にパッと変わりました。

 

母校の後輩と 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

講演会後、晴れやかな笑顔 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

 

北商物流社内や理事長を務める協会、X(Twitter)でも、気づけば皆から頼られている瀬戸口さん。
生徒さんが声をかけてくれたことに何よりも嬉しそうな笑顔を浮かべていました。

 

校門にて 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

校長先生・教頭先生の想いに応えたい

 

瀬戸口 敦 本日は生徒の皆さんの前でお話しする機会をいただき、本当にありがとうございました。

 

教頭先生 こちらの学校に着任してすぐお話があり、今回の趣旨をお伺いしました。2年生、3年生が揃っている今年度中に開催できてよかったと思っています。

予想以上に生徒の反応が良く、本当に食い入るように話を聞いていましたし、「このような場でも、生徒はしっかりと質問できるのだな」と、感心するような場面も見られました。本当にいい機会だったと思っています。

 

瀬戸口 敦 こちらこそ本当にいい機会でした。初心にかえることができました。浦和工業高校は本当に私の原点です。

 

校長先生 1年ちょっとで学校は閉じますけれども、「浦和工業高校は生まれ変わる」と捉えています。決してこの浦和工業の血・精神はなくなりませんので、卒業生の皆様にはこれからも見守っていただけるとありがたく思います。

 

校長 堀口 真史先生 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

 

瀬戸口 敦 もちろんです。講演会という形でなくとも、ご協力の仕方はあると思っています。

 

校長先生 新しい学校は、もちろん「生徒を育てる」ところではあるのですけれど、地域の皆さんとともに歩んでいく学校ということで、企業様での実習などいろいろなものを取り入れていく予定です。
今回のような“人との交流”は、人を育てるという意味で社会とつながっていくための大切な機会です。ぜひ今回限りではなく、末永くご支援いただければと思います。

 

瀬戸口 敦 そうですね。今回は本当にありがとうございました。お忙しい中お時間いただきまして、感謝申し上げます。

 

挑戦のバトンを次の世代へ!後輩たちの活躍に期待

 

「母校に帰る」。胸を張って自分の出身校に戻れる人は、決して多くはないかもしれません。
勇気を振り絞り、母校の舞台に立った瀬戸口さん。その熱い想いと緊張が入り交じった表情には、これまでの努力の軌跡が映し出されているようでした。

今はうまくできなくてもいい。諦めずに挑み続ければ、いつかは自分のものになる。
仲間とともに、一歩ずつ着実に歩を進め、進化していく。

そんな瀬戸口さんの姿勢が、日本の将来を担う若者たちの心の奥に、何かを残してくれたのではないでしょうか。

社会で頑張る大人の背中を見て育った若者たちが、これから社会で活躍していくことでしょう。若者の将来に期待しています!

 

採用サイトはこちら

 

テレビ埼玉『テレ玉』の取材を受けました

 

今回の講演会には地元テレビ埼玉の取材が入りました。
当日のテレビ埼玉のニュースで瀬戸口敦さんの講演会の様子が放映されました。

 

テレビ埼玉の取材2 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

テレビ埼玉の取材を受けた瀬戸口敦 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

テレビ埼玉の取材3 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

テレビ埼玉の取材 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

テレビ埼玉の番組に出演 北商物流 瀬戸口敦『母校に帰る』講演会 in浦和工業高等学校 ダイジェスト版

引用:テレビ埼玉 当日の放送より